2023年は国産ハードウェアの実機が初めて稼働した、日本の「量子コンピュータ元年」といわれています。オータマは2021年6月、大阪大学 量子情報・量子生命研究センター(QIQB)様に、磁気シールドを納品しました。国産量子コンピュータの研究開発に携わる小川和久先生に、現状と未来を伺いました。
― 量子コンピュータの研究開発は今、世界的にどこまで進んでいるのでしょうか。
量子コンピュータの基本的な概念は1980年代に誕生し、1990年代に素因数分解を高速に行う「量子アルゴリズム」が発見され、第一次量子コンピュータブームが起こりました。しかし実際に計算を行うハードウェアを作ることができず、ブームは下火になりました。 その後、冬の時代が続き、2014年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校のジョン・マルティネス教授が発表した論文により、にわかにハードウェア開発が現実味を帯びました。米Googleが本格参入したのをきっかけに第二次ブームが起こり、世界各国で開発競争が行われています。
量子力学を応用した量子コンピュータの考え方は、「古典コンピュータ」と呼ばれる従来のコンピュータとは全く違います。0と1を基本単位「ビット」で情報を表わす古典コンピュータに対し、量子コンピュータは、0と1を同時に表せる「量子ビット」という単位を使います。この量子ビットを使えば、膨大な組み合わせの計算を極めて短時間で処理できるはず、という理論です。
しかし「実社会で応用可能な量子コンピュータ」は、世界でもまだ完成していません。実社会で役に立つ量子コンピュータの完成までには、量子ビットのエラーを訂正する「量子誤り訂正」の実現など、さまざまな課題が山積みなのが現状です。ニュースなどで耳にする「量子コンピュータが稼働」というのは実験段階の話で、私の感覚では、実用化の1合目にも達していないと思います。
QIQBでは、国産量子コンピュータ実現に向けて、①「共創の場形成支援プログラム」での量子ソフトウェア研究拠点、②「ムーンショット目標6」内の課題である、超伝導量子回路の集積化技術の開発、③「光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)」での超伝導量子コンピュータの研究開発の3つのプロジェクトに沿って研究を進めています。
金沢工業大学、理化学研究所(理研)、京都大学ほか多数の民間企業と共同研究を進めている「共創の場形成支援プログラム」では、量子ソフトウェア研究拠点として、超伝導量子コンピュータのテストベッド(試験用のプラットフォーム)構築を目指しています。理研から64量子ビットチップを提供いただき、それを制御するためのシステムを構築しています。
また、量子ソフトウェア研究拠点では「量子ソフトウェア勉強会」を主催し、一般企業や大学生の参加者に、量子コンピュータに関する知見を深めていただいています。
ハードウェアの開発においては、米国や中国のチームが研究開発をリードしています。そのため、すでに開発されているGoogleやIBMのハードウェアを購入し、ソフトウェアの研究に注力したほうが効率的ではないかという声もあります。しかし私たちは、ハードからソフトまであるコンピュータスタックの、各レイヤー間の対話・共創からこそ次のブレイクスルーが生まれると考えています。したがって、ソフトウェアだけでなく、ソフトからハードまでフルスタックで研究開発を行うことが重要です。大阪大学 量子情報・量子生命研究センターはそのような考えのもと、さまざまなレイヤーの研究者が集い、フルスタックでの量子コンピュータ研究を行っています。
国産の量子コンピュータは、理研と大阪大学などで共同開発した初号機が2023年3月、理研と富士通が共同開発した2号機が同年10月、そして3号機であるQIQBの量子コンピュータは、同年12月に稼動を開始しました。初号機は理研に、2号機は富士通に設置されています。3号機では、初号機で海外製の部品が使われていた箇所を、できるだけ国産メーカーの部品に置き換えて開発していることが特徴です。オータマさんの磁気シールドもそのひとつです。
今後、量子コンピュータの重要性が国際的に高まっていくと予想される中、今のうちに国内産業の国際的なプレゼンスを高めておきたいということ、今後も私たちが部品・製品を調達していくうえで、為替や国際情勢などの不確定要素をなるべく取り除きたいということが国産化を進める理由です。量子コンピュータの研究開発にはさまざまな技術が必要です。iPhoneの内部に日本製の部品が多く使われているように、日本製の優れた部品や要素技術の需要が海外で高まる可能性は大いにあると考えられます。
私がQIQBに来た約3年前に、国内で同じ研究をしているグループからオータマさんを紹介していただきました。超伝導量子ビットは、外部磁場によってその量子状態が変化してしまいます。量子ビット周辺には、地磁気や他の実験装置からの磁場、エレベータなど磁性体の移動に伴う磁場変動などの外部磁場が多数存在します。それらの外部磁場の影響を受けないよう、遮蔽するための磁気シールドが研究を行う上で必須となっています。
超伝導量子ビットは、約マイナス273度という極低温で動かす必要があります。オータマさんの磁気シールドは、極低温と常温を行き来する実験を繰り返しても少しの不具合もなく、大変満足しています。今後は、磁気をさらに軽減するための形状や、素材についても相談していきたいと思っています。そうした細かいニュアンスをスムーズに伝えられるのは、国産メーカーのメリットですね。 オータマさんには、いつも磁気遮蔽についてのさまざまなアドバイスをいただいています。私たちのキャンパスのすぐ横にモノレールが通っていて磁気の影響を受けやすいため、研究室の磁界測定をお願いしたこともあります。
世界的に見て量子コンピュータの研究は、ここ数年で量子物理学の研究からコンピュータアーキテクチャやソフトウェアの分野を巻き込んだ研究に広がりを見せています。今後、どのような異分野を巻き込んで研究が進められるかということが、量子コンピュータ研究開発をさらに加速させるための重要な要素です。
実用的な量子コンピュータが実現すれば、人工光合成や窒素固定の実現をはじめ、創薬、金融、運輸など、さまざまな分野での応用が期待でき、多くの社会課題解決に役立ちます。現段階の量子コンピュータは、まだまだ開発途上ですが、理論的には規模を大きくして精度を上げていけば、スーパーコンピュータでも追いつけないような、役に立つ計算をできることが見えています。
目標に到達するのは私の次の世代になるかもしれません。けれども量子コンピュータの正しい進捗状況を世の中に伝えていきながら、あきらめずに研究開発を続けていくことが、前に進むための私たちの使命だと考えています。